Club TOHOGAS公式キャラクターの「リュウベア」が、
東海エリアの普段は見ることのできない裏側をレポート!
リュウベアが東海エリアの普段は見ることのできない裏側をレポート!
あの施設の裏側や、あの仕事の魅力など『新しい発見』をお届けします。
鈴鹿市で受け継がれ、発展してきた
着物を美しく染めるための道具
着物などの生地に模様を染める型染(かたぞめ)のために用いられる型紙。
その代表格とされるのが、1000年以上にわたって三重県鈴鹿市の一定の地域で継承されてきた伊勢型紙です。
精巧かつ芸術的でもある伊勢型紙は、国の伝統工芸品および重要無形文化財にも指定されています。
そんな伊勢型紙にほれ込み、職人の世界に飛び込んだのが、「型屋2110」の那須恵子さんです。
型彫師(かたほりし)としての仕事に加え、伊勢型紙の魅力を発信すべく日々邁進する那須さんに話を聞いてきました。
REPORT.01
その発祥は謎?
伊勢型紙の始まりとは
わあ!すっごくきれい。
これが伊勢型紙なんだね?
はい、伊勢型紙とは着物や浴衣などに模様を染めるための道具です。
小刀で丹念に模様を彫り抜いた型紙を生地の上に置き、刷毛(はけ)や駒ベラで模様を写し、染め上げるために使います。
昔は三重県のことを広く「伊勢の国」と呼んでいたため、三重県内各地の地場産品などには伊勢市が産地でなくても「伊勢」の名前が付いていることが多いです。
伊勢商人のブランドのおかげとも言えます。
伊勢型紙という名称は少しあとの時代からのものであり、初期は白子型(しろこがた)や伊勢型(いせがた)と呼ばれていたようです。
そして、幕末頃までは三重県鈴鹿市の白子をメインに、その隣にある寺家(じけ)・江島という地区で作られていました。
伊勢型紙はいつごろ生まれたの?
奈良時代に孫七という人が始めたという伝説があるほか、平安時代にはこの地域に型屋が何軒かあったという説や、さらには寺家にある子安観音で、虫に食われて穴が開いた葉を見た翁が型紙を思いついたという伝承もあります。
また、室町時代に京の戦から逃れてきた職人がこの地にたどり着いて、型彫の技術を伝えたのではという説もあり、おそらく京のほうが先に型紙が産業として成り立っていたはずなので、個人的には職人が落ち延びてきたという説の信ぴょう性が高いのではないかと信じています。
REPORT.02
白子で作られた
伊勢型紙が全国各地に
伊勢型紙はどうやって広まっていったのかな?
江戸時代の白子は、現在の和歌山県と三重県南部を治めていた紀州藩の飛び地の領地でした。
そして、徳川御三家である強い藩が伊勢型紙を保護してくれたのです。
白子は染めの産地ではないので、商人が型紙を売り歩くのですが、その際に関所を自由に通行できるという特権があり、商人のなかでも高い地位を与えられていたわけです。
そのようにして全国に伊勢型紙が広まっていきました。
なぜ、白子の職人さんは染めの産地に行かなかったの?
型売商人が同業者の組合である株仲間を結成したからです。
その株仲間の掟として、この地以外で開業してはいけない、勝手に商売してはいけないというお触れを出しました。
これにより、白子で職人が彫った型紙を、白子の商人が全国各地で行商するという、独占的なシステムが生まれたのです。
幕末に株仲間が解体されてからも、ほとんどの職人は白子に残りましたが、やはり染めの産地がいいと引っ越した方もいて、東京で型を彫っている職人のなかには「祖父が三重で型彫師をしていた」という方もいらっしゃいます。
REPORT.03
和紙と柿渋で作られる
伊勢型紙
染めの産地ではないのに、白子で伊勢型紙は発展したんだね!
そうなんです。
そして、伝統工芸品の発展はその材料の産地であることも多いのですが、型紙の材料は白子のものではありません。
型紙を彫るのは渋紙または型地紙(かたじかみ)と呼ばれるもので、美濃和紙と柿渋(渋柿の未熟果を搾汁し、発酵・熟成させたもの)から作られます。
型紙を和紙から作るの⁉ すぐに破れそう…。
そこで、型紙として使えるよう渋紙に加工するのです。
和紙は岐阜のものを使っていますが、この渋紙は白子で作られています。
まずは3枚の美濃和紙を、柿渋を用いて貼り合わせ、繊維の方向を縦横交互に重ねることで伸縮を抑えて、紙の強度が増します。
その後、天日乾燥や室(むろ)の中で1週間ほど煙でいぶし続ける「室枯らし」などの工程を経て、さらに1年間寝かせたものが一般的。
型彫師はそこからさらに3年ほど寝かせてから使います。
私はそれ以外にも、突彫りは古来の製法の紙がより彫りやすいと聞き、精密な柄に挑戦したいという理由から、「自然枯らし」といって、「室枯らし」をさせずにそのまま6年ほど寝かせたものを使っています。
REPORT.04
小刀の刃物作りも
1本ずつ職人の手
伊勢型紙はどうやって作るの?
伊勢型紙の技法は、基本的に4種類あります。
小刀で突くように彫る「突彫(つきぼり)」、定規に小刀を当てて縞柄を彫る「縞彫(しまぼり)」、刃が扇やひし形、花びらなどの形になった道具と呼ばれる刃物を使う「道具彫(どうぐぼり)」、半円の形をした刃物を回転させて小さな円を彫る「錐彫(きりぼり)」があります。
いろんな技法を駆使して彫るんだね!
いえ、一人の職人が使うのは1技法ないし2技法で、生涯かけて1技法を極めていきます。
そのなかで私は「突彫」をメインとしながら、浴衣や手ぬぐいをはじめ大きな柄の型紙を彫る時などには、小刀で自由な線を引く「引彫(ひきぼり)」という技法も使います。
そして、この小刀を作るのも重要な仕事の一つです。
刃物を自分で作るの⁉
買ってきたままの小刀用の鋼は、ただの薄くて細い板のような状態なので、砥石を使って先が尖った刃物の状態になるまで何時間もかけて研いでいきます。
「突彫」のための小刀は刃先が1ミリ以下ととても細く、さらにペラペラなので彫っている時だけでなく、机から落としただけでも折れたりするため、日々のメンテナンスも欠かせません。
まずは刃物を研ぐことからすべてが始まります。
REPORT.05
完成までに2~3週間も!
緻密な型彫り
作っているところを見せてほしいな!
なにを染めるかによっても異なるのですが、今回は小紋(こもん)と呼ばれる着物用の細かい模様で紹介します。
私の場合はデザインから制作することも多く、まずは模様の図案作りですが、手書きのほかにも、パソコンで組み立てることも。
次に型紙のベースとなる小本(こほん)を彫ります。
渋紙の上に図案を重ね、一緒に彫り抜いていくのですが、この小本はいわば型紙の型紙。
この小本を、必要な寸法に切り出した本番用の渋紙に墨汁で刷り込んで、模様を写します。
そして6~7枚の渋紙と共に重ねて紙縒り(こより)でとじて、全部まとめて彫ります。
いよいよ本番だね!
この彫る作業は通常の小紋だと2~3週間ほど、さらに細かいものだと1か月半ほどかかることもあり一番時間がかかります。
彫っている途中で、きちんと柄がつながっているかも確認します。
模様がいくらキレイに彫れていたとしても、柄と柄のつなぎが目立つようでは意味がありません。
染色道具としてちゃんと使えるものを彫るというのが、伊勢型紙において大事だと私は考えています。
そして、彫り終わったら紗張り(しゃばり)という技法を外注で施してもらいます。
型紙の上に漆で網を貼り付けるもので、補強が目的です。
紗張りした型紙は再び、私の手元に戻ってきて最終確認をしたのちに、染め屋さんへと納品します。
とっても大変!
そういえば、那須さんはなんで伊勢型紙の職人を目指したの?
もともとは印刷会社でイラストを描いたりしていたのですが…
以前は別の仕事をしていたんだね!気になる続きは後編へ!!